— 夢の入口は、いつも不自然だ —**
次の日の朝、約束の時間より少し早くコンビニ前に着いた。
冷たい風が吹き抜ける道端で、俺は手をポケットに突っ込みながら先輩を待った。
だが、時間になっても誰も来ない。
不安が胸をざわつかせた頃、ようやくスマホが震えた。
着信は先輩だった。
「悪い、寝坊した。先に会社向かっといて。タクシー拾えよ。」
寝坊……?
初出勤の日に?
思わず言葉が出なかったが、続けざまに先輩はこう言った。
「あ、運ちゃんに代われ。」
半ば強引にスマホをタクシー運転手へ渡すと、
先輩は何やら目的地を告げているらしかった。
だが――
肝心の俺には、どこへ行くのか知らされていない。
「じゃあ乗ってくださいね。」
運転手がそう言うと同時に、タクシーは滑り出した。
行き先の分からない移動。
胸の奥に、得体の知れないざわめきが広がる。
――これ、本当に大丈夫なんだろうか。
だが戻る場所もない。
タクシーの窓から流れる景色を眺めながら、
俺は自分の選択を繰り返し噛みしめた。
やがて車が停まり、運転手が振り返った。
「着きましたよ。」
見上げると、雑居ビルの古びた外壁がそびえていた。
ここが……先輩の言っていた“100万稼げる会社”なのか。
半信半疑のままビルの前で立ち尽くしていると、
中からひとりの男が姿を現した。
黒い服。
サングラス。
強面。
まるで任侠映画から抜け出してきたような風貌なのに、
なぜか笑顔だけは妙に柔らかかった。
「お前が新人か?よく来たな。」
その笑顔が逆に怖い。
だが断る勇気もない。
俺は頷き、男の後をついて階段を上がった。
扉を開けた瞬間、
視界に飛び込んできたのは――
想像をはるかに超えた“異世界”だった。
ガラの悪い兄ちゃん、
金髪の若い子、
スーツ姿の爽やか系、
ギラついた目の中年。
雑多。混沌。無秩序。
何より驚いたのは、その人数。
ざっと見ても50人以上はいる。
みんな電話を片手に、
ゲームしながら話したり、
お菓子を食べながら笑ったり、
机を蹴るようにアポイントを入れたり。
オフィスというより、
大規模なゲームセンターのようだった。
――ここが、会社?
俺は思わず呼吸を忘れた。
明らかに最年少。
場違いにもほどがある。
そんな俺に、先ほどの強面の男が
一枚の紙束を渡してきた。
「マニュアルだ。読んどけ。」
ページをめくった瞬間、
目を疑った。
――株?
――証券?
――委託会社?
知らぬ間に、とんでもない世界に片足を突っ込んだらしい。
仕組みはこうだ。
電話でアポを取り、資料を送る。
その後、株券が買われれば――
金額の10%が、そのまま自分の給料。
つまり、
相手が1,000万円買えば100万円。
3,000万円なら300万円。
数字が、やけに軽い。
そこへ、同年代に見える青年が話しかけてきた。
「お前、新人?先月130万だったわ、俺。」
唐突な自慢。
だが、その目には嘘がなかった。
130万……
夜の世界で“100万”に絶望したばかりの俺には、
その数字は現実味がなさすぎて逆に胸がざわついた。
そのとき――
パンッ!
突然、室内に拍手が響き渡った。
「おめでとう!!」
「やったな!!」
何事かと周囲を見回すと、
人だかりの中心で誰かが立ち上がっている。
その人に向けて、社内全員が笑顔で祝福を送っていた。
誰かが俺の肩を軽く叩き、言った。
「今、大台いったらしいぞ。」
「大台?」
「1000万。給料な。」
呼吸が止まった。
――1000万円
――給料で?
常識の外側にある世界が、
目の前で現実として動いている。
俺はそこでようやく悟った。
ここは “稼げる人間” だけが残る世界。
そして “稼げない人間” は、一瞬で消える世界なんだ。
タクシーの不安も、
強面の男の笑顔も、
雑多な空気も、
全部、この世界の“入り口”だった。
俺の心臓は、
恐怖と興奮で、ゆっくり熱を帯び始めた。
――ここで、生きていけるだろうか。
いや、違う。
――ここで、生きるしかない。
静かに、しかし確実に、
俺の新しい物語が動き始めていた。









